「責任」
すべてに責任を取ります
自分で選択することは自己責任を引き受けることです。もう他人のせいにはできません。どんな結果になっても、すべては自分の責任になるのです。でも、自分の本当に大切なことに精神と力を集中させることができます。
中学時代のバレー部の顧問に憧れていたAさんは、爽かなスポーツマン。
Aさんの憧れの教師は、生徒からの信望も熱く、青春ドラマの熱血先生のようでした。
いつからかAさんは、あの先生のような教師になりたいと願うようになります。
「先生になりたい!」と夢見続けたAさんは、友達がデートにいそしむ高校時代にも勉学と部活動に励む生徒だったと言います。
大学受験では、一浪して、地方の国立大学に入学します。
ただ、教育学部に不合格だったため、同じ大学の農学部に入学しました。
初めての挫折感を味わい、一時は教師になる夢を諦めかけたものの、4年になるとき再び教師を目指して1年留年。
教育実習の時期になって、憧れの灯がAさんの胸を照らします。
「やっぱり教師になりたい!」。
そのあと、Aさんは、県の採用試験にストレートで合格し、県立中学に赴任すると同時に3年生の担任と、バレー部の顧問をまかされます。
それは、一浪したことも受験で経験したいろいろな苦労も忘れるほどの輝かしいスタート地点でした。
けれど、進学校でない赴任先の学校は、思い描いた理想とは違っていました。
新米のAさんをからかい、言うことを聞かない無気力な生徒たち、何かと部活動をさぼろうとするバレー部員たち。
「こんなはずじゃない……」。
自分の状況に手が負えず、イライラの連続で、出勤前にはうつ状態に陥り始めます。
これまで体験したことのない、登校拒否状態です。
Aさんの場合、おおむね順調に、優等生としての人生を歩んできました。
何事も、自力で勝ち得てきたため、状況の変化に対応する柔軟性というか、免疫力のようなものが育ちそびれていたのかもしれません。
自分との闘いには強いが、他人との関わりの中でのタフさが足りないパターンです。
柳でなく、あっけなくポキッと折れてしまう大木のように。
1年間なんとか勤め上げたAさんは、教師としての自分を見つめ直すことに専念するため、休職を決意します。
その間、うつ症状の改善のため通院し、同時に大学院で教育について学び直しました。
「自分が選んだ道に間違いがなかったか?」、「自分が悪かったのではないか?」ということも、Aさんの課題でした。
私との相談のあと、Aさんがだした結論はこうでした。
「やはり教師を続けたい。そのためにも、教育そのものを研究したい」。
生徒や環境ばかりを責めて、生真面目に構えすぎていた自分を省みたAさんは、考え方の転換で、辛かった当時よりずっといきいきと活躍しています。
復帰して教育現場にいますが、目的がはっきり見えてきたのです。
もちろん、年若い生徒たち相手に悩みはつきませんが、ここが私の居場所だと再び確信が持てたAさんは、かつて自分が憧れた理想の教師に一歩近づいたようです。
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