「満足」
相手に頼るのはやめましょう
自分の求めているものを相手が満たしてくれることに期待して、自分では行動しようとしない人がいます。でも、人が自分を満足させてくれるのではありません。自分の求めているものを満足させるのは自分自身です。
相談に来たときKさんは25歳でした。
北海道出身で、東京の私立美大で洋画を先攻していたものの中途退校。
中退の理由は、在学中に父親が亡くなったためです。
すぐに働かなくてはならなくなったKさんは、アルバイト生活を送りますが、やがて安定した収入を得たいと思うようになりました。
そこで、求人情報誌で見つけた町工場のような印刷会社に就職します。
印刷会社を選んだのは、亡き父が印刷所を経営していたことから、小さい頃から身近に感じていた仕事だからです。
大学は中退してしまったけれど、絵は趣味で続けたいと思っていたKさん。
絵で食べて行くことができるのはごく一部の人だけで、自分には到底無理、と思っていました。
だからこそ、絵は趣味でいい、安定した収入を得て、趣味の時間を取ろうと考えたのです。
けれど、入社してみると、その印刷会社の仕事は思いのほかたいへんで、休日も不規則でした。
はっきり言って、雑用係というくらい、いつも、そまつな仕事が山積みでした。
だから休日も疲れているので、絵を描く気も起きません。
忙しいことは許せたし、仕事も嫌いじゃなかったけれど、ここまで自分の時間が取れず、個性が活かされていない物足りなさを拭いきれない日々が来ようとは…、誤算でした。
もうこれ以上、ここでの仕事を続けたら、どうにかなってしまいそうと思い始めていました。
絵を生業にすることは、たいへんなことです。
だから、Kさんは、職業としては考えられないと言います。
でも、このままではただ消耗していくだけのように思え、また、好きな絵から遠ざかるのは嫌だと思い、悩んだ末に、私のところに相談に来たのでした。
Kさんには、このとき、まず自分を見つめ直す時間が必要なように思われました。
美大を卒業したかったのに、断念せざるを得なかった悔しさ。
やり場のない思いを抱えたまま、若干20歳くらいで、食べるために働く経験をしたのです。
友人たちは、キャンパスライフを楽しんでいる時代に、です。
本人は明るい人ですが、さぞめまぐるしく生きて来たのだと察することができます。
私は、Kさんの人生の目的を見出すお手伝いをしたい一心で、Kさんの興味の源を探しました。
相談を進めるうちに、Kさんは、本当は、仕事をただお金を得る手段としては考えられない性格だとわかってきました。
仕事は自分を表現する手段であり、また、それによって人に受け入れられたいという思いが強いのです。
そして、美術に関わっていたいという希望も消えてはいませんでした。
学校では洋画を先攻していましたが、相談の中で、実は、日本の伝統工芸にも強く惹きつけられる傾向があることと、植物や自然のものをモチーフにするのが好きだというのが新しい発見でした。
伝統工芸や陶芸などにも興味が向いていると分析しました。
そこで、私の意見として、陶芸を提案しました。
すると、Kさんは陶芸を選ぶとしたらどうしたらいいかを自主的に調べ始めたようです。
再びKさんから相談が入ります。
学校に行くには費用がかかるのが問題なのです。
私は、地方の窯元で、伝統工芸を若手に教育する場があるのではないかとアドバイス。
するとKさんは全国の自治体に、そういう場がないか調べます。
その結果、Kさんは、まさに自分を受け入れてくれそうな研究所を探し当てたのです。
ただ、そこに入るには、年に一度の入所試験にパスしなければなりません。
それからKさんからの連絡が途絶えます。
何ヵ月も経ってから送られてきた手紙には、試験に合格した知らせが綴られていました。
受験勉強をしていたころも、もちろん仕事を続けていたので、勉強は睡魔との闘い。
入所できたら、研究所で学ぶ時間が長くなるため、貧乏になるのは必至です。
それでもKさんは、陶芸の勉強をしたいと決め、がんばり抜きました。
難しい論文もパスしました。
そのあと、しばらくたってから手紙が届きました。
毎日朝から晩まで勉強についやすため、限られたバイトしかできず、本人いわく"極貧チャンピオン"とのこと。
それでも、自然に囲まれた研究所で過ごす日々は、かけがえのない自分の財産だと書いてありました。
また、研究所の先生に作品を褒められた喜びの声も添えられていました。
それから、1年ほど経ち、手紙が届きました。
研究所を卒業したKさんは、地元の窯元で就職し、少しずつ作品を作り貯めているようです。
これから本格的に陶芸で食べていくと決心した気持ちが、ひしひしと伝わってきました。
Kさんの手紙は、こう締めくくられています。
『私の人生の目的は、自己実現することだとわかりました。お金持ちになるかどうかとは関係ありません。そして少しづつ、自分の手で、その目的がかなう充実感を味わい始めています。』
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