「転職」
Aさん ( 26歳 ) の場合

 Aさんは現在、“音と空間をデザインする会社”に勤務しています。
 年齢のわりに2回の転職と豊かなアルバイト遍歴を経験しているAさん。
 その時々の自分が必要としているものを得るために仕事を変えています。
 さらに、「これからも転職の可能性がある」と語っています。

就職 ⇒ 短大卒業後、高円寺の小さな会社でデザイナーに

 美術系の学校を卒業したAさんが最初に就職したのは、高円寺にあるカラオケやCDソフトの企画を手がける小さな会社です。
 大手音楽関係の会社のデザイナー募集の選考に残っていながらも、あえてそれを蹴って入社しました。
 「自分でも深い理由が分かっていないんですが、会社が少人数の規模で、勤務先が都心から少し離れた場所にあるということに魅力を感じました。」
 その会社はアットホームで雰囲気がよかった。
 「仲間をライバル視する学生時代の風潮とはおお違い」だったと言います。
 今までには味わえなかった同世代との付き合いを楽しむことができました。

退職 ⇒ 先輩がやめて上司が倒れる、新人には悪夢の日々

 でも、入社してすぐに、先輩デザイナーが退社。
 仕事を教えてくれるはずの先輩を失った彼女が、何も分からないまま、休日返上で働き続けることはかなり苦しかったようです。
 「仕事上のベースを理解してないので、どうしてもつまらないミスを繰り返してしまう。そのうえ、頼りにしていた上司がとつぜん倒れて入院。お先まっくらとはまさにこのことです。」
 人数が少ないがゆえに、こういう状態になるとそれぞれの業務が混乱するのは当たり前です。
 彼女は勤めていく自信を失い、半年でこの会社を辞めました。

転職 ⇒ アパレル系商事会社で“先輩”と“週休2日”が手にはいる

 退職を考えていたAさんのもとに、転職話が舞い込みました。
 それはアパレル系商事会社で、前の会社では充実していなかった“週2日の休み”が約束されていたことです。
 そして先輩格の人の指導を受けながら、業務にたずさわれるということ。
 さっそく彼女は、宣伝部のデザイナーとして、新たなるスタートを切ることになったのです。
 会社では、ユニフォームのカタログや展示会の案内状などの制作をまかされました。
 モデルのオーディション撮影のディレクションからグラフィックデザインまで、とにかくひと通りの工程をこなしていったのです。
 毎日、やりがいと充実感はあったようです。
 「グラフィックデザイナーとして、一から育ててくれたのはこの会社。仕事の面白さを覚えられたし、心から感謝しています。」

自分を偽るのはつらい ……  もっと私らしい表現がしたい

 たしかに大手企業だけに安定しており、運営もきちんとしているが、それはさまざまな年齢の社員がそろっているからこそです。
 宣伝部のデザイナーも年齢層が高く、なんとなく勢いや覇気がなく、こじんまりとしていました。
 「前の会社とあまりに対照的。勉強になるけど刺激がないと感じてきたんです。」
 さらに、趣味や感性の合わない先輩や上司に気に入られるために、自分の感情を押さえつける日々が続いたのです。
 毎日の生活のなかで、自分を表現できないことはつらいことです。
 そのうち、精神的にも無理な状態がおとずれました。
 不眠や食欲減退などの症状が、あからさまに出てきたのです。
 「このままでは自分がダメになってしまう。とにかく情報のアンテナをしっかりと張ろうと決めて、本を読んだり、コンサートに行ったりして気持ちの切り替えをしてみました。仕事の帰り道、一人で泣いてしまうことも多かった……。」
 けっきょく彼女は、1年半でこの会社を辞めることになったのです。

充電 ⇒ 好きなことをして、自分を見つめなおす

 それから1年半の間、Aさんは、「お金はないけれど、時間と自由と未来はある。好きなことにハマるぞ!」と自分の好きなこと、興味のあることだけに熱中しました。
 彼女にとって、本当にやりたいことを見極めるために必要な時間だったのです。
 草木染の勉強、ハーブ園でのアルバイトとナチュラル志向の生活、デザイン事務所での仕事、花屋のアルバイト、インド料理店でのウエイトレス、タイルを使ったテーブル作りのアルバイトなどなど……。
 「最初のころは、失業保険で何とかなりましたが、そのうち生活に困りました。アルバイトはしていたけれど、興味のないものはやりたくなかった。国民年金や健康保険料の支払いもあってキツかったですよ。まさに私にとっては初めての貧乏体験。おかげさまで経済観念もしっかりできました。とても価値のある、いい経験がたくさんできました。」

転職2 ⇒ 刺激のある職場で、自分自身を磨く

 ある日、Aさんは新聞の求人欄に“音と空間をデザインする”というユニークな発想の会社を見つけます。
 「書類で落とされると思っていたので、本気で就職するつもりはなかったんですけれど、会社のコンセプトが面白そうで履歴書を送りました。ほんとに軽い気持ちでした。」
 ところが面接の日時を知らせる連絡が入りました。
 彼女は面接のときに、今までやってきた自分の仕事に対する考えを正直に話したのです。
 そして、一次面接を通過。
 さらに二次面接で会った社長ともフィーリングが合い、まずは正社員ではなく、手伝いをする形で通い始めることになったのです。
 現在、彼女はこの会社に落ち着いて、音と空間を活かしたコンサートやイベントをコーディネイトしたり、コンピュータ・ソフトを手がけたりしています。
 「刺激を与えてくれる人たちに恵まれて、さまざまな話ができて嬉しい。今まで私自身が求めていた職場環境そのものです。時間とお金ができたらインテリア関係の勉強もしたい。いまスタイリストの仕事にとても興味を持っているので、その道の情報をキャッチしておきたいと思ってます。」
 彼女は、忙しい毎日を過ごしながら、さらに新しい世界に目を向けています。



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平田一二(ひらたつまびらか)

東京生まれ。赤坂小・赤坂中・東海大付属高輪台高卒業、スペインのマラガ国際大学へ留学。' 76年、帰国後に相談室開設。自分の能力や可能性をのばしたいと考える女性のために、≪キャリア留学≫という新しいスタイルを確立して、 先鞭をつけたキャリアコンサルタント。
平成25年10月より下田循環器・腎臓クリニックの相談役に就任する。

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