「海外」 Oさん ( 27歳 ) の場合 Oさんは“一生海外で働きたい”と考えている女性です。 いままでに、3回ほど海外ですごした経験もあります。 現在は日本のホテルのレストラン部門で働いていますが、それも海外渡航費用のため。 いつか、労働ビザを獲得して海外のホテルでGRO (エグゼクティブなお客さまの秘書役や相談係をする仕事)として働くことが彼女の夢なのです。 ● 就職 ⇒ 2度の海外体験のあと、渡航資金のためにホテルに就職 特別なキッカケはなかったのですが、Oさんは小さいころから海外にあこがれていました。 まわりの友達が日本のアイドルに熱を上げているときも、一人、洋楽の歌詞カードをワクワクしながらながめていたと言います。 高校卒業後に彼女は、旅行や観光サービスの専門学校の外国語学科に進学します。 そのコースには海外でのホテル研修制度があって、それは2年時の半年間、スイスのホテルでお給料をもらいながら実務訓練がつめるものでした。 この制度に参加した彼女は、日本とはまったく異なったホテルの様子に、目をうばわれたのです。 「日本式の“お客様は神様です”という考え方がまったくありませんでした。従業員もお客様も対等に、コミュニケーションを楽しんでいるんです。年齢にこだわることもないし、すべてが魅力的でした。将来は、海外で働きたいという思いが、このとき一気に強まりました。」 研修終了後、帰国したOさんは就職活動をこばみ、卒業と同時にワーキングホリデー・ビザの交付を受けて、カナダのバンクーバーに渡ったのです。 そこでは、日本食レストランで1年3カ月働きました。 「本当はこのままずっとバンクーバーにいたかったんですけど、ビザが切れてしまったので、しかたなく日本にもどりました。」 そのあと、次のビザが取れるまでの期間、渡航資金を貯めるために名古屋のホテルに就職したのです。 「そこでは運よくルームサービス課に配属されたので、外国からのお客様があると英語でサービスできて楽しかったですね。やりがいもありました。」 ● 退職 ⇒ やっぱり海外に行きたい! 再度バンクーバーへ 「そのホテルでの仕事に、特に不満があったわけではないんですが、日本にしばらくいると、無性に海外にいきたくなっちゃうんですよ。」 彼女は2年半でホテルを退職し、再びバンクーバーへ旅立ったのです。 バンクーバーは、都会と自然の両方のよさをあわせもつ魅力的なところです。 世間体や、しがらみにわずらわされることなく、“自分は自分、人は人”と個性を認めあう寛容な人々。 「私はマイペースなところがあるので、日本ではしんどいこともあるんです。でもここなら存分にリラックスできましたね。」 残念なことに、Oさんは、そのときの渡航では観光ビザしか取れなかったので、ベビーシッターをしながら7カ月間しか滞在できませんでした。 ほとんどの国の法律では、労働ビザを取得しなければ、長期間の海外滞在は難しいのです。 しかも、この労働ビザの獲得には、その国で実績をあげて推薦してもらうか、スポンサーを確保してから、弁護士に取 得依頼をするという、かなり面倒な手続きが必要になります。 彼女の現状を考えると、この労働ビザの取得は困難でした。 ● 転職 ⇒ ホテルで働きながら、労働ビザの取得をめざす! 観光ビザが切れるとともに、Oさんはバンクーバーから帰国します。 そして今度は、オープンして間もない岐阜のホテルに入社、レストラン部に配属されたのです。 まだまだ人手不足のホテルなので、彼女の所属部署ではレストラン以外にも、ルームサービス、フィットネスラウンジ、 テイクアウトカウンターなどをまとめて担当しなければなりませんでした。 「毎日3時間以上の残業があたり前になっていました。でも、残業手当はつかないまま。いろいろと不満もありますが、お金を貯めるためにあと1、2年は働くつもりです。」 将来、彼女は海外のホテルでGROとして活躍したいのです。 そのために、これからもホテルでのキャリアを積むだけでなく、英語を勉強したり、資金を貯めなければなりません。