「留学」
Kさん
( 25歳 ) の場合

 Kさんは、自分の好きなことと職業をむすびつけるために、アルバイトをするいっぽうで、資格取得のために勉強にはげんでいました。
 彼女がめざしたのは、カラーコーディネーター。
 いまでこそ目標がハッキリと見えていますが、決意するまでの道のりは、決してまっすぐではなかったのです。

就職 ⇒ 福利厚生と基本給を重視して、英会話学校の事務職に就く

 女子大学の英米文学科に在籍していて、Kさんはきびしい就職戦線を経験しました。
 「とにかく、みだれ撃ち状態でした。できるだけ多くの会社にアプローチして、その中から、自分の目的にあう会社を選び、内定をもらおうとしていました。」
 業種や職種を限定せずに、とにかく福利厚生を重視した会社選びに徹したのです。
 彼女は、上京組で一人暮らしでした。
 家賃補助があったり、社員寮を持っている会社が絶対条件です。
 そこまでこだわる理由の一つに、お金を貯めて、近い将来留学する目標があったからです。
 そのためにも、少しでも基本給の高い会社を選びたかったのです。
 最終的に彼女は、条件を満たす大手英会話学校の事務職に就きました。

退職 ⇒ 激務に耐えきれず、たった2カ月で退職

 社会人デビューをしたKさんに、思いがけない試練が待っていました。
 会社の雰囲気と方針が、まったく合わなかったのです。
 職場のコミュニケーションよりも、仕事が最優先で残業はあたり前。
 会社を辞める人がたえずいて、ピリピリした緊張感が漂い、彼女も1カ月経たないうちに、2回も転勤させられました。
 慣れない環境のなか、めまぐるしく変わる職場の環境について行けず、完全に体調をくずしてしまいます。
 「微熱が続いても出社しなければならなかった。たとえ40度の熱があっても“あなただけが辛いわけじゃないのだから”といって、休ませてもらえませんでした。」
 たった2カ月で、彼女は逃げるように退職してしまったのです。

転職1 ⇒ カルチャーセンターに就職。恵まれた環境の中で働く

 わずかのあいだ休養のため実家に帰った彼女に、両親が公務員試験を受験するようにすすめてきました。
 両親の言葉にしたがって受験したものの、結果は残念ながら不合格。
 「このまま、何もしないでいるわけにもいかない。あせる気持ちでいっぱいでした。そんなとき、知人からカルチャーセンターで働いてみないかと、声をかけていただいたんです。この不景気に仕事の話。断ろうという気にはなりませんでした。」
 家族にも心配をかけたくないという気持ちもあり、さっそく話をすすめて、地元のカルチャーセンターに再就職します。
 受付や、経理などの事務だけでなく、講座の企画やポスターやチラシの制作など、さまざまな業務をあたえられたのです。
 「お給料とお休みはイマイチでしたが、人間関係もよく、ヨガやドイツ語など好きな講座を無料で受けられるという特典もあって、居心地のいい職場でしたね。自分のやり方で仕事を進められるので、本当にやりやすかった。それに、自分が企画した講座が成功するとすごく嬉しかったんです。上司も私のことをほめてくれて、もっとがんばろうという気になりました。」

退職 ⇒ 仕事をやめて、カラーの勉強に集中

 彼女は思うところがあって、順調にいっていたカルチャーセンターの仕事を1年半ほどでやめます。
 担当の業務でもあったポスターやチラシ作りに熱中しているうちに、一番やりたいことが何だったのかということに気づいたからです。
 大学時代からファッションやメイク、ネイルと自分流のおしゃれを大いに楽しんでいたという彼女。
 「もともと“色”によって自分の印象を変えられることに、すごく興味があったんです。」
 そのころKさんは、ネイルアートの学校に興味をもち、話を聞くためにわざわざ訪ねています。
 ネイルアートに関する話を聞きながら、カラーの世界の奥深さに感動、その世界にかなり魅了されたようです。
 さっそくカラーの勉強をしようと思いたち、1年間のカラーコーディネートの通信講座も受けました。
 当時の情熱がよみがえったのです。
 「もういちど本格的にカラーの勉強をするなら、会社勤めをしていては、中途半端になってしまうと思ったんです。働いていると、どうしても、十分な勉強時間は取れないですからね。」

充電 ⇒ アメリカでカラーの勉強がしたい!

 通信講座を受けてから数年間のブランクを経て、彼女の中によみがえった情熱は、アメリカ式のカラーを学びたいという形になりました。
 留学の準備のため、自由になる時間も必要ですが資金も必要です。
 「とりあえず、留学資金のためにパソコン会社でアルバイトをしながら、スクールに関する情報を集めることにしました。その間に2週間ほどお休みをいただいて、ニューヨークへスクールの下見に行って来ました。気に入った学校があればそのまま留学して、勉強を始めようかなあ、とも考えていたんです。でもあまりに物価が高くて、生活するのもたいへんそうなので、とりあえず帰ってきました。」
 それからも、彼女は留学の準備を着々と進めたのです。

勉強中 ⇒ 留学は保留。バイトをしながら、日本でライセンスを取得

 下見までして、留学の準備に力を入れていたKさんでしたが、計画は保留になりました。
 「今後、自分が日本とアメリカのどちらに拠点をおいてやっていくのがよいのか迷ってしまったんです。国によってカラーの使い方がかなり違ってきますから。それに資金面の負担が大きいので、今の自分には厳しすぎるし、無理だという結論をだしました。」
 けれども彼女は、日米のカラーを比較するために、いつかは留学したいと強く希望しています。
 留学をやめたからといって、彼女の“カラー”に対する思いは変わっていません。
 カラーを一生続けられる仕事としてとらえ直し、目標を日本でのカラーのライセンス取得に切りかえたのです。
 そのためにアルバイト先から長期の休暇をとって上京し、カラーコーディネートの集中講座を受講します。
 「受講している人は、カラーを仕事にしようとがんばっている人が多いんです。設計やインテリア、服飾などの仕事に就きながら、カラーのライセンスを狙っている人もいます。また、カラーに関する情報が豊かなので、地方から来ている私としては貴重なネットワークになると思っています。ほんとうに、いい刺激にあふれている講座なんですよ。」
 さらに、「カラーひとすじでは、なかなか仕事にありつけない」ので、知識をより具体的な仕事に活かせるように、インテリアなどの知識を修得しようと考えてもいます。
  彼女の課題はまだまだ山積みのようです。



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平田一二(ひらたつまびらか)

東京生まれ。赤坂小・赤坂中・東海大付属高輪台高卒業、スペインのマラガ国際大学へ留学。' 76年、帰国後に相談室開設。自分の能力や可能性をのばしたいと考える女性のために、≪キャリア留学≫という新しいスタイルを確立して、 先鞭をつけたキャリアコンサルタント。
平成25年10月より下田循環器・腎臓クリニックの相談役に就任する。

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