「能力」
Bさん ( 28歳 ) の場合


 専門学校で縫製の技術を身につけたBさんは、アパレル販売員から結婚式場の受付へと転職しています。
 そして、旅行会社への就職のために、再び専門学校へ通ったのですが、その道が開けないことから断念。
 現在は、雑貨と仕事を結びつけようと思案中です。
 華やかで、見ばえのいい仕事をもとめる彼女は、いまだに自分の将来が見えないままでいます。

就職 ⇒ 家政専門学校を卒業し、華やかなアパレルの世界へ

 高校卒業後、Bさんは家政専門学校に進学しました。
 その理由は、家から近いということと、母親の強いすすめがあったからです。
 専門学校ではおもに縫製の勉強をして、卒業制作には3カ月もかけてウエディングドレスを仕立てあげました。
 けれども彼女は、縫製を仕事にしたくなかったのです。
 「縫製って、熟練のおばさんたちにまじって、小ぢんまりした工場でもくもくと働くイメージが強かったんです。地味なところよりも、キレイで、華やかなところで働きたかったんです。」
 そんな彼女が選んだのは、有名DCブランドの販売員になることでした。
 さっそく、人気ブランドの一つに面接にでかけます。
 運よく採用が決まり、あこがれの銀座店には配属されなかったものの、通勤に便利な丸井上野店のショップで働くことになったのです。
 給料は約20万円、休みは月に8回、洋服はもちろん社員割引で買えます。
 クリスマスパーティーはディスコ貸し切りで、みんなドレスアップして繰りだすことが恒例になっていました。

退職 ⇒ ノルマ達成と顧客確保に追われる毎日がつらい

 でも、店員5人で月500万円を売り上げなければならないきついノルマがありました。
 「やっぱり売るのがじょうずな人は、気づくと服を売ってるんですよね。でも私は、なかなか売ることができなかった。ダイレクトメールをこまめに送ったりして、お客さんをつかまえようとがんばったんですけど……。」
 彼女は3年間、自分なりの努力を続けましたが、顧客獲得にはつながりませんでした。
 そして、ついに退職を決意したのです。

転職1 ⇒ 華やかでキレイな結婚式場で、あこがれの受付嬢

 ノルマのある販売に限界を感じたBさんは、それ以外の、華やかで、人と接することができる仕事を探します。
 そのご、受付という仕事へのあこがれも手伝って、池袋にある結婚式場で働くことになりました。
 「どうしても、あのアパレルの華やかさは捨てられなかったんです。結婚式場の受付なら、いつもキレイにしていられるでしょう。」
 こうして、彼女は2つ目の会社で働き始めたのです。

退職 ⇒ 思った以上の重労働と評価されない自分

 キレイで、わりと楽な仕事だろうと思って勤めだしてはみたものの、これが意外に重労働だったのです。
 「忙しいときとヒマなときの差がはげしく、ひどいときには1日12時間以上も立ちっぱなし。仕事内容のマニュアルはないし、指導してくれる上司もいない。お客さまの荷物をあずかるクローク業務もやっていて、重い荷物のせいで、手や腰を痛めました。だんだんと体調も悪くなるし、もう最悪でした。私は一生けんめいやっているのに、誰も評価してくれない。そんな、むなしさもありました。」
 積もり積もった不満と悪条件。
 結局、3年半で彼女は、この仕事もやめてしまったのです。

充電 ⇒ 旅行会社をめざして勉強

 いったい自分は何がやりたいのか?
 自分を振返ってみたBさんは、専門学校時代のサイパン旅行を思い出し、そこで出会った、とても親切な添乗員さんが心に残っていることに気づきます。
 「もしかしたら、旅行会社がいいかもしれない!」
 そこで、いちから旅行業務について勉強しようと専門学校に通い始めます。
 「知人の旅行会社の人を紹介してもらって、話を聞いてみました。添乗員はたいへんそうでイヤだったので、企画や宣伝をしてみたいと相談したんです。すると、専門学校に行っても何にもならないし、やりたくて入ってきた人ほど続かないっていわれて……。」
 彼女は旅行会社の転身を断念しました。

模索 ⇒ 自分が何をやりたいのか、分からない

 次に彼女が目をつけたのは雑貨のお店。
 もともと雑貨屋さんめぐりが好きだったBさんは、不景気にも強い食材を扱った店が注目されている、と聞いて興味をそそられたのです。
 「雑貨を仕事にむすびつけたまではよかったんですが、また“販売”かと思うと、まるで進歩がないじゃないですか。そのとき、知人から雑貨の記事を書くライターはどうか、とすすめられたんです。」
 販売の仕事しか頭になかった彼女にとっては、思いがけない提案だった。
 けれども、まだはっきりとしたものが見えてこないので、答えは出せないでいます。
 「正直いって、自分が何をやりたいのか分かってないんです。それに、すぐに仕事を決めなきゃいけない理由もない。とにかく輝きがあって、華やかで、人から注目される、みばえのいい仕事につきたいんです。だから、いまはまだ模索中というところかなあ……。」
 彼女の、自分自身と向かいあう日々は、まだ続いています。


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平田一二(ひらたつまびらか)

東京生まれ。赤坂小・赤坂中・東海大付属高輪台高卒業、スペインのマラガ国際大学へ留学。' 76年、帰国後に相談室開設。自分の能力や可能性をのばしたいと考える女性のために、≪キャリア留学≫という新しいスタイルを確立して、 先鞭をつけたキャリアコンサルタント。
平成25年10月より下田循環器・腎臓クリニックの相談役に就任する。

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